あえていうならば、お金が欲しい時は決まって旦那が仕事がうまくいかなくなった時だ。仕事がうまくいかなかった、給料が上がらないなど壁が見えてくると、その壁を越えようとする努力はしないで、転職という方向に向いてしまう。そうなると仕事に意欲が感じられず、営業成績も悪くなっていき、必然と給料は下がる。そうこうしているうちに子供も2人出来た。これからますますお金が必要となってくるであろう時期に貯蓄するお金がないとは悲しいことだ。お金が欲しい時について話し合いを設けはしたものの、旦那の言い分と私の言い分は大きくずれていた。旦那はお金が欲しい時についてはカードローンなどでいくらでも借り入れを起こせると言う。いつ死ぬかもわからないのに節約、貯金はバカらしい、そのような考えでは一生こんな生活から抜け出せないという考えだ。つまり、旦那は仕事の為にはお金を惜しみなく使って、使った額より利益が出れば良いという考えだ。着地良ければ良いということだ。私はバカかなと思う。借入とは貸してもらうことだと、結局はいくらかの利子を払って借りた額より多く返さなければならない。まるで自分のお金になるような言い分に疑問と嫌悪を抱いた。それにお金を惜しみなく使って利益が出る確信はないのだから、出なかった場合は損益ということになってしまう。その事がわかっているのか否か。お金が欲しい時について私は一つの考えがよぎる。私たち中流家庭以下の家庭はあればあるだけ良い、別にお金が欲しい時という限定されて欲しい時というのはないということだ。宝くじで一億当たったら、ネットビジネスに成功したら、FXなどの為替取引で儲けれたら、常々考えることだ。いわばお金が欲しい時という考え自体がすでにそれなりの社会的地位とお金を保持しており、それについて考えるということ自体がおかしいのだ。でも私は思う。いくらお金があったとしても、どれだけの社会的地位があったとしても子供や家族、そのぬくもりや幸せはお金では買えないということを。

 
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